’えきそあぽ’便り’ ※えきそあぽ とは‥ラテン語由来の外側のという意味。
夏は黙々と大きな雲が思い浮かぶ。
どこにいてもその姿は大なり小なり変わらない。
雲。
雲というのは本当に面白いと思う。
最近よく雲を観察する事が多い。
ふと目をやると雲がちらっと姿を表す。
ひょこっと出てはまた消え、とても気まぐれだ。
雲ってのは自由だなぁと思う。
勝手に形も変えてどんどん進んでいく。
どこかへ。
昨日、大雨が降る中、久し振りにできた隙間を捉えて郊外まで電車に乗り初めて降りる街へ。
そこは歴史ある人物の所縁あるなんたらとして知られてもいるので、交通の便が良いというだけの理由で気楽に北西の駅から50分乗った。雨が降っていたので、そこまで人はいなく散歩にはちょうど良い感じだった。
夏の時間というのは湿気と暑さのおかげで周囲も気だるさがあって
人の意識も鈍い感じがして心地が良い。
鋭い感覚というのは時に邪魔になる。
雨ってのはいい。
一人一人の姿が少し見えにくい。
そういうのが結構大事だったりする。
みえること、知ること、わかること、この三拍子が揃うと、なんだかドッシリとつまらない。
わからなくていい、見えなくていい、知らなくてもいい、そういう事を、夏は許してくれると思っている。
私たちは知り過ぎる。
見え過ぎて、解り過ぎようとしてしまう。
そういう事が本当に重要なのかは多分一生わからないままだと思っている。
しかし、その欲求を止めることは難しいと思う。
頭ってのは動いてしまうのだ。
雲を見ると、その自分の速度の可笑しさにふと気づく事がある。
先日、近所の小さなバーで友人と軽く一杯やる。
ジャガイモのフライを頼み、適当に一番安いグラスを頼む。
たわいも無い世間話をするが、ふと、お互いに同じようなことを考えていることに気づく。
突然、会話は変わる。
熱が篭る。
友情とはこれだと思った。
突然、熱が篭るのだ。
言葉の云々は超えているのいである。それは本当に。
八月になる前の風は気持ちがいいな。
雨は降る。
叩くように降っている。
シュッポッポ、ポッポッポー!
岡