【半島暮らし】2021.7-えきそあぽ便り7émé ‘それも、またしのばるる。’

’えきそあぽ’便り’      ※えきそあぽ とは‥ラテン語由来の外側のという意味。

5月だったと思う。
友人達とおしゃべりしていて突然、ある友人の提案によし乗った!と北の海際の街へ行ってみることに。

西岸地域は何度か足を運んでいるものの、
北、となるとなかなか機会がなく。
と行っても海際だからそこまで寒いってわけでもない。

この友人は独特な個性を放つ、なかなかユニークで機転のきくタイプだ。
私はこの友人の持つ、あっけらかんとして明るいエネルギーがとても感じが良いと思っている。
気さくで、面倒見がよく、優しいのにサバサバと明るい。
旅をするならもってこいの友人だ。

さて、到着するやいなや、彼女のお母さんが最寄りの駅まできてくれてスムースに家まで到着。
海まで歩いて30秒くらいだ。
近い!

天候は新潟とかの雰囲気かなぁと思った。常に天気はグラグラしている。
そしてここのミモノは海のマレ現象である。
モンさんなんたらとかよりもよっぽど手軽な感覚でその現象を見る事ができると思った。
(もちろんそちらには行ったことはない)

こういう時に、どうしてもシンボリックなものっていうのが頭をよぎり、
なんか目の前に見ている景色を自分がどう捉えているのか、と考えてしまったりする。
そして自分の中の何かがそういうシンボリックなものについて
改めて考えを張り巡らせてしまうのだ。
だからこんな小さな細胞では足りない。
とつっこんでみたり。

さてさて、
それにしても久しぶりにだだっ広い場所で、空気を吸い、
友人と冗談を言いながら友人の家族達と戯れる時間は大きな力をくれるものだ。

そしてナニカがなくてもお互いにその時間を喜び合うことができるのは、
当たり前のようで意外と貴重だったりもする。
私たちはただ単純に、シンプルな時間に常に置かれていることを忘れてはならない。
それ以上でもそれ以下でもない、ということをこの友人との旅路において気づかされた。
それは広がる広野の景色よりも、もっと美しいことだと思った。

特に今回は老若男女問わずに様々な友人の家族達が訪れ、本当に忘れていたものを思い出した、と感じた。
こんなに豊かな時間はない。
友人の咄嗟の思いつきに感謝している。
まあ、旅っていうほど大きなもんでもないのは
新幹線みたいなので三時間のところだから。
ナニカがなくてもナニカが教えてくれるんだろうと思う。

あれ、これでも小旅行にお連れしたつもりです!
ありがとう、Sydnie!
また小話を次回にでも挟みます。

しゅっぽっぽっぽっぽー