【えきそあぽ便り】2021.12-えきそあぽ便り9eme‘お、はよう!’

‘えきそあぽ便り’ ※えきそあぽとは、ラテン語由来の外側のという意味。

おはよう。
おはようってなんかいいな、と思う。
関係性のあり方。
これについてしばし考えを巡らせた秋。

それは場所、時間、そしてそれぞれの持つ個々の世界。
そして場所や空間のもたらすものとは何かをゼロから掘り下げてみる。
それは常にそこにあるもので、だがしかし見えない。
そんな不確かなものであると思っている。

信頼とはなんなんだろうか、
これもまた紐づいている。
一体何を得てして信頼というのだろう。
確信があるから信頼するのか、それとも確証のある何かが見えると信頼になるのか。
謎だ。

そもそも信頼とは何か、
信じたいから信頼するのだと思っている。
そこには大きな希望がある。
希望があるから生きている。
少なくとも私は。

希望という実にアヤシイ実態のものをひたすら信じたい。
そういうことが非常に大事だと思っている。
物事はもっと感覚に基づいていると思う。
理屈で説明できないものこそ、信頼をする価値がある。
それがなかったらなんもない。
なんも生まれない。

挨拶。
あいさつって面白い。
挨拶って言葉は遠くからは問候といって、江戸幕府などに疑問を申し立てることに使われていたとも聞く。
挨拶ってすごい簡単な行為なのに、すごい複雑なものを含んでるなと思ったりする。

というのも、
人と人が顔を合わすときに、それがたとえどんなに知っている人であっても
たとえば朝、眠りから覚めた後、誰かの顔を見ることになれば挨拶をするわけですね。

声のニュアンス、とかで人の気分が見える、とか面白い。
それは、私たちに誰か、との関係を改めて写してくれるものでもある。
かなりご無沙汰しているこのつぶやき通信。
それでももしかしたら楽しみにしてくださっている方がいるのでは、
なんて自分をワクワクさせながら、の9通信目。

こういうのも見えない信頼なんだよな。
こんなペースを何も言わずそっと受け止めてくださる
Same Picture Company のみなさん、そしてその社風の素晴らしさは
もう十分にそのセンスを語っていると思えます。
本当にありがたいことであります。

さてもう実は師走。
びっくりするほど一年が早かった。
まだ師走も半ばなんですが
何かと挨拶する機会ってのが増える。

そういうのはいいなって思います。
そういう時間って大事だ。
諸々のどんな情報よりも大事だ。
しゅっぽっぽ。