【えきそあぽ便り】2023.10-えきそあぽ便り‘12eme ’

※えきそあぽ とは‥ラテン語由来の外側のという意味。

最近こちらに戻ってから夏の束の間の涼しさに耽り、バイオリンの音に更け込んでいる。
七月も後半の2週ばかりを日本へ行って過ごした。

久しぶりの滞在と夏という日本らしさを存分に味わったように思う。

暑さは確かに過酷で、人々の日々の耐え難い感覚を納得せざるおえないことも認識した。

東京は、とても変化の早い街だ。
東京と一言にいうと広すぎてしまうのだが中心部に関してである。

さて、
今回は少し北部へも足を伸ばした。
久しぶりの友人へ会うこともあったがとにかく気になることがいくつかあった。
それはまた別の機会に、としている。

世情は諸々の感情や土地にもたらされたそれぞれの抱える折り重なり複雑な課題などが
美しいそれぞれの風景がそれを更にベールにかけるように思われた。

問題のない街などない。
どこにもたくさんの課題があり、それぞれの単位でそれを抱えているのだ。
ただ、それは人の数だけ考えを巡らせねばならず、
それを現状などと照らし合わせねばならないだろう。
今はそれくらいにしか書ききれないことも私たちのサイズ、を認識せざるを得ない。

旅情緒というものはそういう一種の広い感覚で小さなポイントを見つめさせてくれるなと思う。

横でそれを共有する人間はまたそれを新鮮な感覚で捉えているように見えた。
しかしやはりそれは同じような感覚でもって共有がなされているようでもあった。

ところで、今回友人の家にお邪魔になった。
昔からの同僚であったY氏とは十五年以上ほどの仲になるのだが、
全く何にも変わらないその彼女と私の関係に自分でも少し改めて驚いた。
彼女は何も変わらない態度で私とやりとりをし、
そこにいる違う語源を話す相手にも全くなんの変化もなく、淡々とそして無償の愛情のような暖かさで迎えていた。
そこにいた3人の子供たちとその父親のO氏、の興味津々な無邪気な好奇心がまた水面を行き交い跳ねる若い水魚のように輝いて見えた。

澄む、住む、この二つのことが綺麗になされている家族であると感じた。

毎日ただなんでもないその無邪気な笑いとはしゃいだ声に、
私たちは大きく癒されたようであった。

こんなに無邪気な態度を見ると、
何がそうさせるのかと探る前に、ただひたすらその安堵に浸るしかないのであった。

時代は、刻々と変わるがどうかこの無邪気な声だけは常に真実であると思いたい。

川は流れるが、その風景はそこにい続ける。

シュッポッポー